政財官をはじめ、芸能・スポーツ、企業・団体、各種コミュニティに至るまで、リーダーシップを発揮すべき立場の方々が道を踏み外す愚行が絶えません。ポリコレ警察がごとき文春砲や新潮砲が連日炸裂し、ニュースやネットがゴシップで埋め尽くされる現状に辟易としている方も増えています。私もその一人です。
そこで、本記事では少し歴史を遡り、近年のリーダー達がどのようなリーダーシップを発揮してきたのかを概観した後、ポスト平成時代のリーダーシップのあり方について考えてみます。
昭和期は実践先行型
高度成長を遂げた昭和時代、リーダーシップは「あれこれ考える暇があるなら、まずやってみよう」という実践先行型でした。今ほどゲームのルールが混沌としていなかった当時、他者に先駆けて実践した人がリーダーになる可能性が高かったのでしょう。声が大きく、馬力があって、「細けぇこたぁいいんだよ、とにかくやってみりゃできるって」というブルドーザータイプに人心が集まりました。
このタイプはよく言えば豪放磊落ですが、悪く言えば粗っぽい親分です。KKD(経験・勘・度胸)を偏重し、パワハラ・セクハラ、男尊女卑、滅私奉公当たり前という価値観がリーダーシップのあり方にも大きく影響していました。面倒見が良い反面、意見が異なる人とはソリが合わず、議論を重ねて説得するより無理を押し通したり、それでも物事が進まない時は先送りがまかり通っていました。
高度成長の熱に浮かされた中では、この実践先行型リーダーシップは上手く機能しているように見えましたが、それは理不尽な事を我慢して努力すれば報われた間だけでした。成長が翳りを見せ、頑張ってもなかなか報われなくなってくると、「悪戯に実践する前に、成功確率の高い方法をよく考えてから実践すべきじゃないか?」という意見が出始めました。
経営戦略をはじめとする経営理論が幅を利かせ始め、「MBA?何それオイシイの?」などという会話が今で言う意識高い系ビジネスパーソンの間で交わされるようになり、その波がやがて「今までのリーダーシップのあり方で、これからの時代も勝ち残っていけるのだろうか」という問いへと結び付きました。リーダーシップのあり方を理論的にとらえようという研究が進展し始めます。
平成期は理性重視型
低成長時代を生き抜くために複雑で困難な課題解決を求められた平成時代のリーダーシップは、実践を支える理論形成にも重きを置き、成功可能性の検証結果に基づく計画的実践の推進エンジンとしての役割を課されました。問題解決のプロであるコンサルタントやMBAが重用され、マネジメント理論の一環としてリーダーシップのあり方を捉えるようになったのです。
この変化が頭脳明晰で定量分析やシミュレーションにも明るいハイスペックタイプのリーダーを求めるようになりました。目標を立て、戦略・戦術を練り、実践し、進捗管理しながら達成に導くリーダーが、全員が理解できる言葉と行動で何をどうするかを知らしめ、微に入り細に入り、ソツなく統制しました。親分のような頼り甲斐や人情味より、時に冷淡なまでのロジック重視が大きな特徴です。
機を見るに敏なリーダーはステークホルダーの要望に的確に応えました。すぐ成果を出せることに集中し、期待を上回るリターンで支持された方もいましたが、極めて合理的に成果を追求して倫理観や人の気持ちを蔑ろにする輩が現れ始めました。高いIQほど使い方を誤るとややこしい問題を起こすもので、法律や規制で縛ったものの事態は巧妙化する一方で、コンプラやガバナンスも骨抜きでした。
私腹を肥やした人が反感を買うのは当然ですが、AIやブロックチェーン等の破壊的な技術革新をリードする真っ当なイノベーターが的外れな批判に晒されることもあり、「巨万の富を得た奴はアヤシイから破滅させたい」「いい思いをしているヤツらを引き摺り下ろしたい」という妬みが文春砲等の過度なポリコレを招き、国中が炎上案件を探し回る様相となりました。
陳腐化した昭和リーダーシップを引き摺るリーダーは恰好の餌食でした。なにをするにせよ道理を逸脱するのが当たり前ですから、ツッコミどころ満載です。当時は一握りの権力者が情報格差を盾にして権勢を振るえた訳ですが、秘匿しておきたい不利な情報まで虚実を問わずSNSで瞬時に世界中に公開され大炎上してしまう今では通用しません。
これをどうにか封じ込めようと秀才が暗躍し始め、更なる事態の悪化を招きました。グレーゾーンはOK、クロじゃなければ逃げ切るスタイルが定着したのです。元々明晰な頭脳の持ち主ですから、シッポをつかまれるような事はしません。訴追者が証拠を探し出して不祥事を追求するのは至難の技なので、のらりくらりと受け流して惚けていればなんとか逃げ切れると思ったのかもしれません。
実践先行型の反省に基づいて登場した理性重視型リーダーシップでしたが、権力の腐敗と人心の荒廃に伴い、ダークサイドに堕ちました。不祥事さえエンタメ化してしまう市井の人々の逞しさは流石ですが、そろそろ一歩踏み出す時が来たようです。リーダーシップにおけるジェダイの出現が待望され始め、平成末期を迎えました。
ポスト平成期は感情尊重型
過去からの流れを汲んで期待されるポスト平成期のリーダーシップは、関わる方々を幸せにするよう方向づけるものであるべきです。以前の記事「RPA、AIとの協働時代を生き抜く」でも書いたように、これからの時代は豊かな人間性を核にする社会への再構築が求められるので、リーダーシップも人間性の根底に脈打つ「感情」を尊重することが重要です。
はじめに「感情の尊重」を定義する必要があります。負の感情である「怒」と「哀」の正転方法や、恐怖や不安のマネジメント手法、またモチベーションの維持・向上への「喜」と「楽」の活用等が大きな論点となるでしょう。また人々を導くには「感情の移ろい」をデザインし、マネジメントしなければなりませんが、それを捉えるには心理学的なアプローチも予め用意する必要があります。
ヒトの上に立つリーダーは皆をどこにどうやって連れて行くのか明示せねばなりません。ステークホルダーの感情に充分配慮して、ルールに則り、良心・良識を踏み躙るような振る舞いを厳に慎み、ヒトとして正しい方向へ、正しい方法で導いてゆく責任は今以上に要求されます。ただ、ポリコレの弊害を考えれば寛容さやある程度の許容範囲、気持ちの余裕は必要でしょう。
昭和と平成のリーダーシップがアイデンティティと結びついた人にとって、感情尊重型リーダーシップを受容することは難しいかもしれません。ただ、生き残りたいなら変化に対応しなければなりません。無理を通したヒトやコトが破綻したことを認め、どう変えなければならないのか真摯に討議する時が来たのです。そう腹を括ったヒトだけがリスペクトされ意見を傾聴してもらえる世になります。
たとえば、、、
政治家なら、柵に囚われず、ポスト平成日本の国家ビジョン、地方ビジョンを提示して国民に問うてください。問題を先送りして次世代にツケを回すことを止め、少子化と低成長に喘ぐ先進国再生のロールモデル確立に注力してください。国際社会における日本のプレゼンスを再浮上させられるかどうか、そして国民が幸せを実感できるかどうかは、政治家のリーダーシップにかかっています。
経営者なら、事業ビジョンを打ち出し、労働者をはじめとするステークホルダーを自分同様に尊重し、共に成長する仕組みを構築してください。労働者や顧客からの搾取で成り立つビジネスモデルや、コンプライアンスとガバナンスが機能不全に陥った企業等は、早晩社会からの退場を迫られます。この不可逆な変化への的確な対応が求められていることを理解し、変革してください。
オトナなら、善悪の判断、他者への敬意と尊重、思いやり等、幼き頃に学んだヒトとして生きていく上で大切な原理原則に立ち返り、自省と自律に努めてください。信頼と愛情を鍵として、強きを挫き弱きを助く、ポリコレに走らない寛容さ、異なる価値観を受容する一方で自らの信念も侵されない柔軟かつ確固たる対応ができる、そんなオトナになりたかったことを思い出し、叶えましょう。
コドモなら、様々な価値観や知見に触れて自らの知性と教養を磨くことと、命の重さ、愛情の尊さ、感性の豊かさ、感情の怖さ、理性の厳しさ等、ヒトがヒトであるための経験をしてください。先人たちの知恵に習い、臆することなく挑み、大いに泣き、笑い、弾き返されてもへこたれず、自分の考えを貫いてください。将来を創り上げるのは今のコドモであり、オトナではないのです。
「何を青臭いことを」と笑われるでしょうが、結構本気でこんなこと考えてコンサルタントやっています。
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必読の古典「EQリーダーシップ 成功する人の「こころの知能指数」の活かし方」でお馴染みのダニエルゴールマンが社会生活を営むうえで重要な知性(社会的知性)について記した名著。ビジネスパーソンは勿論、人間にとって最も大切な「本当の頭の良さとは何か」について考えを深めることができる。内容を理解するというより、何かを感じることができるはず。
人として大切なものを理解したうえで読みたいビジネスサバイバル読本。破壊者(ディスラプター)やAIとの戦いで、企業に、そして人間に勝ち目はあるのか、あるとしたらどこにあるのか、企業として、個人としてどのように対処すべきか考える機会になる。綺羅星のごときキャリアの著者の圧倒的な知見に触れ、仮説とはいえ肌が粟立つ内容に震撼する一冊。
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